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東海道五十三次膝栗毛で
心に残ったこと

(2)

河 口 友 彦


むっつめ

「 藤枝宿の焼き鳥や“だち吉”」
 藤枝宿で一泊。駅に近いこじんまりとした焼き鳥やに入った。
焼き鳥やの主人は神戸から2年ほど前に奥さんの里の藤枝に来て店を構えたということだ。店の名前が珍しいので聞いてみると、“邦吉 宏”と言う主人の名の吉をとって客から気軽に“だち吉”と呼んでもらいたいのでそのようにつけたとか。年は自分と同じ62歳(昭和15年生まれ)。
焼き鳥も結構うまかったが、実はおでんが懐かしい煮こみおでんで鰹節の粉をかけて食べるものだった。静岡ではこういう食べ方をすると主人からいわれ昔を思い出した。
小さい頃、静岡市内で育ち親戚がおでんやをやっていた頃よくこうしておでんに鰹の粉をかけて食べたものだった。飛び入りでフラッと入った店がなぜか懐かしくうれしかった。

ななつめ

「 大井川で吹雪きに会う」
 東海道を歩いているといくつもの橋をわたる。
主なものは多摩川・相模川・富士川・安倍川・大井川・天竜川 …… 
1月28日には“越すに越されぬ大井川”といわれた五十三次の昔の難所大井川にさしかかった。
現在の大井川大橋は川幅約2km渡るのに15分近くかかった。渡りはじめは日がさしていたのに渡り終わって一休みしていたら急に雪が降りだし瞬く間に吹雪となって一寸先も見えなくなってしまった。約30分位したらまた晴れてきた。
この大井川の川幅のひろさも大いに実感したが、吹雪かれたのにもびっくりした。昔の旅人が苦労したのを感じ取ることができた。

大井川大井川 安倍川安倍川
相模川相模川 富士川
富士川

やっつめ

「 金谷宿の人情にふれる」 牧の原台地より牧の原台地より金谷宿を見る
 お茶畑で有名な“牧の原”で親切なおばあさんに出会った。
大井川を渡って吹雪かれた後金谷駅にたどり着く。昼時だったので駅前の小さな食堂に入ると先に入っていたひとりのおばあさんがこれから注文するところだった。
味噌ラーメンの看板が目に入ったので私が注文するとおばあさんも同じ味噌ラーメンを注文。味噌ラーメンができる間そのおばあさんと話が弾み、おばあさんの甥が牧の原でお茶を生産販売しているというので土産に買いたいと話したところ、食べ終わったら私が案内してあげると言ってくれた。お言葉に甘えてついて行くと牧の原台地の真中に“中野園”というお店に案内してくれた。
帰りにそのおばあさんが玄米茶と茶飴一袋を土産にといってくれた。見ず知らずの旅人に恐縮してしまうほど親切にしてくださる、これぞ田舎の人情だなあと感じてありがたく頂くことにした。帰りは牧の原台地から大井川に広がる茶畑を見ながら金谷駅に向かった。



ここのつめ

「 袋井宿で善財童子像を頂く」  東海道五十三次の云われ判明!!
 東海道ネットワークの会21の飛澤久治氏と知り合い善財童子像を頂いた。
お話によると昔、印度に善財童子という少年が居た。頭の良いのにかこつけて、毎日 遊んでばかりいたので皆に馬鹿にされていた。ある日のことそれに気がついた善財童子は、心を入れ替え勉強しようと思い立ち旅に出た。色々な人々を次々に訪ね歩いて教えを受けたが、その訪ね歩いたという人は名も無い人々だったのに気がつき「どんなにつまらなそうに見えるひとでも、何か一つは立派なものを持っているものだ」と気がついた。そして彼は53人の人々から沢山の知恵や経験を学び、立派な人になったという事である。
江戸時代の人達も善財童子のこの素直な心を見習う為「東海道五十三次」の宿場に観音堂を作った。五十三次は、この善財童子の昔話に由来する数字で、素直な心の大切さを教えているものである。

善財童子
善財童子
飛澤氏と出会う
     飛澤氏と出会う どまん中茶屋
     どまん中茶屋

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