6月13日(月曜) いよいよ山陽路へ出発
いよいよ山陽路へ出発。昨日高槻でミニ同期会をやった後、具志兄と砂岡は関亭に泊めて貰った。関夫人も高槻暮らしが長く、美しい京ことばを殆ど聴かれなかったのが残念であったが、見送られて、三人で高槻郊外の樫田簡易郵便局(写真@)へ。具志兄の郵便局巡りは、中央郵便局と簡易郵便局(注)を優先する。樫田を後に大阪中央郵便局に向かう。大阪中央郵便局は、大阪梅田地区再開発の一環として建替え中であり、貸しビルで仮営業中であった。大阪を後に神戸中央郵便局に向かう。今夜の宿は播州赤穂にする。写真Aは行く途中の坂越港。
(注)簡易郵便局(郵政公社ホームページから)
現在、郵便局は全国に約24,000局あります。そのうち約4,000局が、地域の方々に業務を行なっていただいている簡易郵便局。郵便局株式会社と契約を交わしていただき、手紙を送る、お金を引き出す、保険に加入する、といったサービスを全国あまねく受けられるように設置・運営していただいています。
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6月14日(火曜) 早朝の市内は閑散
赤穂では朝食前に関兄と砂岡は早朝の赤穂城(写真B)へ。ときおりジョギングする人か自転車通学の高校生に会うだけで市内は閑散としている。城内の大石神社(写真C)など散策してから宿に帰って具志兄と合流して朝食。再度三人で赤穂城に向かったあと赤穂郵便局に寄ってから一路山陽路へ。途中赤穂西簡易郵便局に寄り、今日の昼は江戸時代に朝鮮通信使が寄った牛窓(写真D)の町へ。通信使記念館も貸し切りで案内して貰い、昼食に海鮮丼を食した料理屋も貸切りののんびり贅沢旅となった。この後、岡山中央郵便局により富岡兄との待ち合わせ場所の後楽園(写真E)に向かう。後楽園中央の池の辺に悠然と佇む富岡兄を遠方より見つけ、しばし学生時代に戻る。富岡兄の道案内で丘の上の富岡山荘(写真F)に向かう。富岡夫人は、我らの襲撃を察してか大阪の娘さんの家に避難?しており、男4人の合宿に入る。無事に夕飯もすませ、熟睡に入ったところで、深夜の珍客に鼻を舐められ悲鳴を上げるというおまけがついて夜は明けた。
6月15日(水曜) 鷲羽山から瀬戸内海、四国の眺望
朝早く、富岡山荘(写真G)に別れを告げ、鷲羽山へ。同期で来たような来なかったような曖昧な記憶がはっきりしないまま、鷲羽山から瀬戸内海、四国の眺望(写真H)を楽しむ。水島コンビナート地区を抜け、笠岡から福山へ。福山城にちょっと寄り、尾道へ。向酒店(写真I)に車を置かせて貰い、まずは尾道ラーメンで腹こしらえを。小山兄が菅根姉に偶然会ったという有名な「朱華園」は定休日。向酒店主のお勧めの「壱番館」へ。醤油味をベースに、豚の背脂を使用した、歯ごたえのある平打ち麺。食後、尾道のメインストリートを散策。尾道には学生時代の50年前に訪問して以来である。向酒店の造り(写真J)は変わっていなかったが、商家独特の通り庭が改造されて居間になっていたのは少々残念であった。酒店のすぐそばから、連絡フェリーに乗り、向島へ。乗船料金は100円でバイク代は10円というのがいかにも生活に溶けこんでいる感がある。朝ドラ「てっぱん」(写真K)のロケ地になった向島はいろいろな映画のロケ地に選ばれただけあって、とても風情がある。尾道を後に今日の泊まりは、瀬戸内の小島の民宿に決まった。途中、竹原の町並みを散策し、安芸灘大橋を渡り着いたのは、今は呉市の一部になった蒲刈町(人口約2000人)の民宿。民宿の眼前の下蒲刈島との間の海峡は見事な渦潮が展開している。威勢の良いおばあちゃんのお給仕で民宿独特の食事を味わったのは、大きな仏壇のある部屋であった。
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6月16日(木曜) 菅根姉、関兄推薦のアナゴ飯
民宿を後に再び安芸灘大橋を渡って本土へ。この橋は、たかが2分足らずで渡り切るが通行料は700円。往復1400円は島の住民にはかなりの負担になるだろう。
通勤渋滞をとおりながら呉郵便局へ。呉から広島に入り、広島中央郵便局、原爆ドーム(写真L)をまわり、岩国へ。昼食は、菅根姉、関兄推薦の宮島口のアナゴ飯(写真M)を堪能した後は、雨が激しくなる中、一路、岩国へ。菅根邸(写真N)は、閑静な高級住宅街の一角にあった。電話やインターネットで親しくなった、菅根氏と菅根姉が迎えてくれた。ゆったりした邸宅は二人住まいには少々大きい感じがしたが、特筆すべきはお手洗いであった。悠に一坪を超える大さもさることながら、床はタイル張りで水洗いができる構造に初めてお目にかかった。美味しいコーヒーとケーキでゆっくりくつろぎ、早速、錦帯橋(写真O)へ。夫妻は、シニア市民のため渡橋料は無料。雨ではあったが、錦帯橋は思ったほどは滑らず、全員無事に対岸へ。雨のせいか観光客もまばらで霧にかすむ風景に満足し、今夜の宿の新山口に向かう。
6月17日(金曜) セメントの町の小野田郵便局
山口では山口中央郵便局、ザビエル祈念堂に寄り、小群郵便局、宇部郵便局、とセメントの町の小野田郵便局(写真P)でスタンプをゲットしし一路下関へ。昼食場所の唐戸市場の手前の赤間神社(写真Q)に詣でる。壇ノ浦の戦いで敗れた安徳天皇を祀ってある。道中安全を祈願して昼食へ。市場でお好み寿司を買って堤防で潮風に吹かれて食す。美味美味。食後レトロ調の下関南部町郵便局(写真R)へ寄り、フェリーで巌流島(写真S)へ。戻って、関門トンネルで門司へ。写真Aは関門人道トンネル。門司港には多くのレトロな建物(写真B)が保存展示されていた。ライトアップが素晴らしいとのこと、再度訪問してみたいと思った。
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6月18日(土曜) 龍野城 龍野醤油資料館
今回の山陽海岸線走破も無事終わり、今日から帰路に着く。帰路は高速道路を使う。下関から山陽道に入り、一気に東京はちょっと無理なので、姫路で一泊することとした。帰りがけの駄賃に、兵庫県西部の醤油のふるさと龍野町に寄る。龍野城(写真C)、醤油記念館(写真D)など歴史散歩で今回の旅の締めくくりとした。醤油といえば、2008年の同期会(熊野古道)で訪れた湯浅醤油も醤油の老舗と記憶しているのが、龍野醤油と湯浅醤油は古さでは殆ど同じということだ。(16世紀) 龍野を後に姫路へ。
6月19日(日曜) 兵庫県 姫路城
今日は最終日。早朝、姫路城(写真E)に。世界遺産姫路城は2009年から2014年まで天守の改修を行っており、改修の足場には天守の写真が描かれていた。姫路城を後に、高速料1000円の最終日を利用して一路東京を目指す。関西圏通過にも殆ど渋滞に合わず途中、高槻バス停で関兄を降ろし、中央道経由で東京には夕刻到着。走行2,500km余りの旅は無事終わった。
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