( 小樽から宗谷岬まで同行記 )
[ 7月の1日の夜に具志から電話 ]
そもそもは、今年の3月6日から8日まで白馬スキー場で行った、放研スキー部の集まりに参加した時、具志から「今年の5月頃、北海道を車でぐるっと一周するつもりでいる」という話から始まった。
その後、東北大震災が起こり、日本中が災害支援で揺れ動く中で、具志の話も何時か忘れかけていた。
そんな7月の1日の夜に具志から電話があり、3日に東京を発ち4日から北海道に入ると連絡が来た。
青函海峡上のフェリー船から、3日、4日は函館に泊まり地図でいうと、海岸線を時計回りで走り、5日は岩内付近で宿泊し、6日に札幌へ入る予定と携帯で言って来た。
かねての計画通り、いよいよ「ぐるっと北海道ドライブの旅」を実行することになったのかと、こちらも嬉しく同行をお願いした。
6日午後、そろそろ近くまで来ていると、連絡がありそうと思っていたが、なかなか来ないので心配していたら、やっと、電話があった。「今何処に、、、?」、「うん、余市でニッカ工場の見学が終わったとこ、これから行きます」、「えっ!、まだ小樽まで来ていなの?。そこからだと札幌まで1時間半以上くらいかかるけど、、、」、「分りました。着いたら電話します」と、、、。
6時15分頃、「ホテルに今着いたから、、、」と、待ちに待った連絡が来た。
[ 7月6日(水)、札幌(ホテル)ー北上宅 ]
北上亭へ始めて具志に来てもらう。
先ずは、無事の到着を祝ってサッポロビールで乾杯、3月の以来の再会とこれまでのドライブの話で盛りあがる。
北上亭の具志と私
◎1日目[ 7月7日(木)、札幌ー小樽ー石狩ー増毛ー羽幌ー天塩 ]
具志が昨日は、余市から急いだので、小樽を見ていないと言う。
それでは、今一度小樽へ戻ろうということで、最初に、小樽郵便局、小樽駅、そして、道内ではちょっと有名なニシン御殿「青山別邸」に行く。次に、是非、「石原裕次郎記念館」ということで、私も久しぶりに訪れる。
平日の午前中ということもあり、中は閑散としていてじっくり見学することが出来た。
しきりに「裕次郎」のスターとしての暮らしぶりの豪華さに吃驚すると同時に、青春時代を懐かしく思い出したようだ。
その後、小樽を離れ石狩へ、郵便局に寄り、昼食はらーめん(二人とも塩味)を食べ、宗谷岬目指して北上することにした。
道は、一部で山の中に入るも殆どが海岸に沿って続いているので、日本海を間近に見ながら走る。
山道で「熊が出ない、、、?」と具志、「この辺りは先ず出ないね!、見たことないよ!」と答える。
期待しているのかと、その危なさに驚く。
今夜の宿泊予定の羽幌町に行く前に、増毛町の駅が見たいということで、先ず、郵便局に行き、所在を確認する。
具志はしきりにイメージが違う(新しくなっている)なあと言っている。
夕方、羽幌町のホテルに到着、平日で観光客も少なくなっているので安心して(予約をしてない)フロントに行き宿泊のお願いをする。フロント「本日は満室です!」、私「えっ!本当に、、、、どうして?」、フロント「町のお祭りがありまして、、、」、
私「泊まれそうな所を紹介して、、、」、フロント「殆どが満室だそうですよ!、隣町も駄目でしょう」、「その先の、天塩町で探したらどうですか?」。私「本当に!、此処からだとあと1時間以上かかるけれど、、、具志、天塩にする」。
具志「他に方法がないなら、そこにしようか?」
予約を入れ、5,300円で素泊まりならOKということで、本日の宿が決まる。
そこからまた走り、6時40分頃天塩町に入る、着いて吃驚、町外れの古いビジネスホテル、これも止む終えないねと納得する。
夕食も車で行くしかない、具志には悪いが、一人でビール、、、。
◎2日目[ 7月8日(金)天塩ー幌延(トナカイ牧場)ー豊富(豊富温泉)ー兜沼公園他(サロベツ湿原)ー稚内(ノシャップ岬、稚内公園、稚内郵便局)]
今日は、曇り空で、札幌や小樽に比べると気温もやや低い。
天塩を出発、昨日は予定よりも北へ来ているので、今日は稚内まで100km弱と余裕がある。
ゆっくりサロベツ湿原(原野)を見て回ることに、まず、途中から内陸に入り、幌延のトナカイ観光牧場に立ち寄ることにした。
驚いたことに、その牧場の奥に巨大な塔と付属した立派な建物のあることに気がつき、売店の娘さんにたずねると、日本原子力研究開発機構が行っている「幌延深地層研究センター」のPR施設という。
入場料は無料ということだったが、将来、原子力発電所から出た高レベル放射性廃棄物を地下深く埋設(北海道の大地にそのような廃棄物を持ち込まれることに反対したい)するための施設研究ということで、遠慮することにした。
その後、油田を掘っていたら温泉が湧き出たという、豊富温泉(入浴せづ)を周り、サロベツ湿原の北限(兜沼公園)まで行き、そこから湿原を南下した。
サロベツ湿原に立つ具志
ユリに似た黄色のカンゾウキスゲが真っ盛りで、所々に、ハマナスの花も見える。
豊富市街でラーメンの昼食を取り、本日の終着、稚内へ向かう。
途中、道路沿いに現れたエゾ鹿に(1匹)、早速、具志は「望遠に取り替えていて良かった!」と、カメラに納めていた。
稚内市街に入ると、一番近い「ノシャップ岬」を訪れる。残念ながら空は曇り、晴れていれば見える利尻山が見えない。
その後、稚内郵便局に行き、JR稚内駅、港のドーム桟橋を見学、近くの丘にある稚内公園(彫刻家本郷新の作品「氷雪の門」がある)に行く。稚内港を中心にした街を見下ろす。今夜の宿はJR稚内駅から離れているが「ホテル奥田屋」にする。
温泉つきのホテルでツインのシングル使用で7,350円(朝食付)、まあまあと具志も納得。
具志は、ウォッシャ付洋式トイレ(前日は単に洋式トイレだった)があり、シングル使用という拘りがあるのでなかなか大変。
夕食は、近所に居酒屋「いろはにほへと」があり、そこへ行き、魚介類を中心に酒を楽しんだ。
◎3日目[ 7月9日(土)稚内ー宗谷岬(日本最北端)ー稚内空港 ]
夜、雨が降っていたので、心配したが収まっている。
ホテルを8時45分に出発、宗谷岬(市街から27km)を目指す。
雨も上っていて、安心する。具志が「気になるけれど?」、[道路沿いにバス停が見当たらない]と言う。
「岬から稚内に戻れないかも知れないよ?どうする」、「まさか?、路線バスがあるはず」と、答える。
行ってみれば分ると、楽観(不安半分で)していると、向こうからその路線バスがやってくる。
「大丈夫、大丈夫!」と、これで安心と思い、岬に向かう。
やっと到着、過ぎてみるとあっという間の3日間という感じ、お名残惜しいけれど、日本最北端の宗谷岬で、それぞれ東と西に別れるのもちょっとロマンチックじゃないと、感傷的になっていた。
宗谷岬に立つ具志と北上
ところで、稚内に戻る路線バスの時間は何時と停留所に行ってみると、「何これ!」、無常にも、午前の便は、さっき出合ったバスのみで、後は午後の3時過ぎまで来ないことになっている。
「、、、、!」、具志、「僕は、明日、旭川市(旭川中央郵便局)に行きたいので、一緒に旭川までどう、、、」。
「無理!無理!」と、私、具志「それじゃ、稚内市街まで送るわ、、、」。
「それじゃ、悪いので、来る途中にあった稚内空港(市内まで7km)まで送ってもらい、そこからの路線バスに乗ることに、、、」。と、具志も「路線バスがなかったらその時は市内まで送る」と、言ってくれる。
その戻り道、今度は、「キタキツネ」が現れる。「やはり送って良かった」と、子供のように喜んでいる。
稚内空港へ10時40分頃に着いた、そこから11時10分発のJR稚内駅行きバスがあり、ホットする。
結局、宗谷岬の別れが、稚内空港ということになってしまったが、これも現代風で良いのではないかと、お互いこれからの旅の安全を祈って、それぞれの車に乗車した。具志は、再び宗谷岬に向かい紋別で宿泊することになっている。私は、JR稚内駅1時45分発特急サロベツ号に充分間に合い、札幌には、夜の7時08分に到着した。
昭和36年の宗谷岬(砂岡提供)「日本最北端の地」の石碑もリニューアルされたようですね。
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